モデルや俳優で活躍されている大東駿介さんは、過去に親に捨てられた壮絶な生い立ちを経験していました。
両親の離婚、一人で貧しい生活を送るなどの生い立ちについてまとめていきます。
家庭環境!親に捨てられた壮絶な過去
両親の離婚
小学校3年生の時に両親が離婚しました。
母が近所のケーキ店のおばちゃんに、離婚報告の会話を耳にして知ったとのことです。
父はタクシー運転手で、家を空けることがほとんどとのこともあってそれほどショックは受けなかったようです。
中二で母が家を出る
母は自宅1階でクリーニング店を営んでおり、一人で頑張っていました。
いつも買い物などへ出かけるときは、シャッターを半分開けた状態で外出していました。
中学2年生の頃、学校から帰宅するといつもの通りシャッターが半開きの状態で、
買い物かちょっとした外出をしていると思い帰りを待っていましたが、朝になっても帰ってきませんでした。
母が帰宅しない日は日に日に増えていき、その間隔は徐々に広がり最終的に全く帰ってこなくなってしまったとのことです。
まだ中学生ですが、相当な孤独感を経験しておりました。
壮絶な中学生時代
買ってきた牛丼や、家に残っていたスパゲティにポン酢だけをかけて食べていたとのことです。
間もなくお金が底をつき、店のレジに残っていた1円玉をかき集めて、10円で買える駄菓子を主食にしていたようです。
1円玉を何十枚も出して払うことにみっともなさを感じ、近所のコンビニを巡って駄菓子を一つずつ買っていたことに惨めさを感じていたとのこと。
中学校は弁当が必要でしたが、母がいなくなってから持っていけなくなり、
昼食の時間は家に帰ってきて過ごしたり、先生から菓子パンをもらったりしました。
先生に気を使わせるのがキツくなり、中2の途中から学校にも行かなくなってしまったようです。
「両親に必要とされていない自分を、誰が求めてくれるのだろう」と自分の価値を見失ったことが一番苦しかったようでした。
親が帰ってこないという悲しみが、徐々に怒りへと変わっていき、
「ここで死んだらほんまに全部を奪われるってことやん。親が認めてくれへんなら、他の多くの人に認めてもらえるように生きよう」と、
生きて見返してやろうと決意したとのことです。
俳優への夢

映画が好きで俳優に憧れていましたが、それは「自分の人生を生きなくて済む仕事」という感覚だったようです。
しんどい経験も演技に生かせると考え、自分を客観視しながら演技の練習をしていたとのことです。
孤独な生活が1年続きましたが、中3で伯母に引き取られ、学校に復帰し高校へ進学したようです。
高校卒業後、東京でいとこの家に居候しながら雑誌モデルを始め、19歳で俳優デビュー。
その後は多くの人と出会い、日本中や海外にも友人ができたようで、
「こんな未来は想像していなかったが、生きていて本当によかった」と感じられるようになったとのこと。
中学生の頃はつらかったが、好きなことが生きる力になるとわかったようです。
目標を見つけることの大事さを感じますね。
まとめ
- 大東駿介(だいとうしゅんすけ)
- 大阪府堺市出身
- 2005年、ドラマ「野ブタ。をプロデュース」で俳優デビュー
舞台やドラマで活躍を続けていますので今度も頑張ってほしいですね。